正々堂々

高木です。こんばんは。

今日もまたまた、おもしろくもない一般論です。
興味のない方はどうぞスルーしてください。

「正々堂々」と聞くと、どういったことを思い浮かべるでしょうか?
何かのスポーツでの選手宣誓では「スポーツマンシップに則り、正々堂々戦うことを誓います」というように、卑怯な手を使わずに真っ正面から向き合うことですね。

意味としてはそれでいいでしょう。
けれども、戦う姿勢としてはどうなのでしょうか?

この「正々堂々」という言葉、実は元は「孫子」から来ています。
またまた「孫子」です。

「孫子」の軍争篇に、「正正の旗を邀うること無く、堂堂の陣を撃つこと勿し」という言葉があります。
これが「正々堂々」の由来です。

意味としては、「敵が旗が秩序だっており、陣容も堂々としていれば、そんな相手をわざわざ攻撃することはない」といったところです。

逆にいえば、自軍が秩序だっており、堂々としていれば、敵はなかなか攻めて来れないということでもあります。
その意味では、正々堂々としていることは正しいのです。

けれども、現代的な感覚で卑怯な手を使わず、真っ向から戦うことが正しいかというと、決してそんなことはありません。

先ほどの「正々堂々」の由来となった言葉の前後を見てみることにしましょう。

「是の故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰。故に善く兵を用うる者は、其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ。此れ気を収むる者なり。治を以て乱を待ち、静を以て譁を待つ。此れ心を治むる者なり。近きを以て遠きを待ち、佚(いつ)を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ。此れ力を治むる者なり。正々の旗を邀うること無く、堂々の陣を撃つこと勿し。此れ変を治むる者なり」

ちょっと長いですが、簡単に意味をたどっていきましょう。

朝のうちは威勢がよくても、昼になればだれてくるし、日が暮れるころには帰りたくなってくる。
だから、威勢のよいときを避けて、だれてきたときを狙う。
これが敵の気力を操る者のやり方だ。

秩序だった状態で敵が乱れたところを攻め、落ちついた状態で敵の混乱を攻める。
これが敵の心を操る者のやり方だ。

戦場の近くで遠くから来る敵を待ち伏せ、元気な状態で疲れた敵を攻め、腹の状態で植えた敵を攻める。
これが敵の力を操る者のやり方だ。

そして、先ほどの「正々堂々」の由来となった言葉です。

最後に、これこそ敵の変化に応じて柔軟な戦い方ができる者のやり方だと、しめくくっています。

現代的な「正々堂々と戦う」という感覚とはちょっと違いますよね。
少なくとも、「卑怯な手を使わず」ではなく、まるっきり卑怯だと感じる人もいることでしょう。

「孫子」は冒頭に「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」とあるように、徹底したリアリズムを追求しています。
戦う以上は必ず勝つべきであり、きれいごとを言っている場合ではないのです。