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良寛さんの言葉

著者:高木信尚
公開日:2018/06/22
最終更新日:2018/06/22
カテゴリー:雑記
タグ:

高木です。おはようございます。

月曜日に発生した地震からそろそろ丸4日が経過しようとしています。
関西のみなさん、いかがお過ごしでしょうか?

この時期にこういう発言をするときっと非難を浴びるだろうと知りつつ、そういう状況になると発言せずにいられないのが私の性分です。
今日はそんな話をしたいと思います。

関西には23年前の阪神淡路大震災での被災経験を持つ人も多くいます。
弊社の社員にも当然そのような人がいるわけで、地震に対して過敏に反応してしまうのも無理はないと思います。

ところが実際には、被災経験を持つ社員も今回の地震に関しては結構余裕を持って対応しているようです。
神戸なので震源から比較的遠く、大きな被害がなかったこともその原因かもしれません。

一方で世の中には、やたらと地震に対して不安を抱き、何もかも放り出してすぐにでも逃げ出さんばかりの人もいます。
そういうのを見ていると、そのネガティブな念が災難を引き寄せてしまうのではないかと心配になります。
たとえば、仮に逃げ出すことで地震から逃れたとしても、交通事故など別の災難に遭うのではないかと思わずにはいられないのです。

さて、ここからが本題です。

私が子供のころに読んだ伝記に『良寛さん』がありました。
子供たちといっしょにかくれんぼをしたり、毬つきをしたりして遊ぶ姿の描写しか印象になく、どこが偉人なのか子供のころにはよくわからなかった人物です。
しかし、大人になってみてそのすごさがわかる人物でもあります。

良寛和尚は江戸時代の越後の僧侶ですが、寺も持たず、妻子も待たず、ほぼ無一物を貫いていました。
彼の財産はといえば、托鉢のための鉢、応量器(食器)、杖、筆と少しの紙、粗末な墨染めの衣ぐらいだったといいます。
まさにあらゆる執着を捨てる、すごい修行を積んでいた人物だったのです。

そんな彼が残した次のような言葉があります。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候

災難に遭う遭わないも、死ぬ死なないも、どんなに頑張ったところで人間にできることには限界があります。
結局は天の範疇で決まることであり、ジタバタしたところでどうにもならないのです。

どうにもならないことに対して醜くジタバタしたり、起きてしまったことを嘆き悲しんだりしたところでしかたがありません。
それよりも、あるがままを受け入れ、今を精一杯生きることこそが大切です。

一見冷酷に見える言葉ではありますが、生きる力を奮い立たせる素晴らしい言葉だと思います。

ネット上では2018年6月21日にマグニチュード10.6の巨大地震が発生するという情報が拡散されているようです。
情報源はブラジルの自称予言者のようです(ブラジル時間では現在もまだ21日です)。
こういう予言を完全に否定することは困難なのですが、不安で不安でしかたがない人は、ぜひ良寛さんのことばを思い出してみてください。

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