お天道様が見ている

高木です。おはようございます。

世の中にはいろいろなマナーや慣習の類いがあります。
マナーは社会生活における人間関係を円滑にするためには必要ですし、コミュニティに定着した行動様式としての慣習も間違いなく必要です。

ところが、そうしたマナーや慣習というものは、何をさておいても守るべきものかといえば、決してそんなことはありません。
中には、悪しきマナーや悪しき慣習といえるものさえあります。

具体的例を挙げましょう。

エスカレータに乗るときは片側を空けることが慣習になっていますし、それをマナーだと考えている人も多いと思います。
けれども、エスカレータで歩く、ましてや走ることは安全上の問題があり、やってはならないことです。
また、エスカレータの片側だけに負荷をかけるのも機械にとっては決して優しくありません。

つまり、エスカレータで片側を空けるのは悪しき慣習やマナーといえます。
そうしたマナーや慣習を守ることより、合理的な理由がある適切な方法で利用することを優先すべきです。

ただ、エスカレータの正しい利用方法については、合理的な理由はありますが強制力はありません。
それは合理的なルールではあっても、「お客様へのお願い」の域を出ないのです。
女性専用車両に男性が乗らないというのもそれと同レベルの話であり、「お客様へのお願い」に過ぎません。

何らかの強制力を持つのは「契約」ということになるでしょう。
契約を交わせば、その内容がマナーや慣習、あるいはお願い的なルールと矛盾していたとしても、お互いがそれを守らなければなりません。

では、契約を交わせば常にそれが有効かというと、決してそんなことはありません。
法律に違反するような契約はそもそもが無効になります。

例えば、「会社を退職する際は○ヶ月前までに申し出ること」のような契約になっていたとしましょう。
就業規則等でそのように規定されていた場合でも同様です。
雇用期間の定めがない場合には、退職の意思を示してから暦日14日が経過すれば自動的に退職になります。
たとえ退職届が受理されなかったとしてもです。

つまり、契約よりも法律のほうが優先順位が高いのです。
ここまでの話をまとめると、優先順位は次のようになります。

法律 > 契約 > 合理的なルール > マナーや慣習

普通ならここまでで話が終わってしまうのかもしれませんが、肝心なのはこれからです。

法律が最優先なのであれば、法的に問題がなければ何をやってもかまわないということになります。
もっといえば、仮に法的に問題があっても、具体的な罰則がなければ何をやってもよいという考え方もあるでしょう。

ところが、人間にはもっと重要な行動規範があります。
「お天道様が見ている」というのがそれです。

たとえ誰も見ていなくても、たとえ具体的な罰則が適用されなくても、太陽が、そして天が見ているということです。

人間はいろいろな場面で迷います。
それはそれで構わないと思います。
けれども、最後の最後に決断をくだすときは「お天道様が見ている」ことを大切にすべきなのです。

「みんなそうしているから」という理由で慣習に従うのも、「契約書に書いているから」という理由で無批判に従うのよくありません。
そして、これはあまり大っぴらには言うべきではないのでしょうが、法律に基づく事情だけで決断するのも正しいとはいえません。

最終的には、天と自分のやりとりで結論を導くべきでしょう。
私心を廃し、素直に天と向き合えば、必ず答えは導き出せるものです。