エビデンスの重要性

馬詰です。
お昼休みに失礼します。

普段、何気に生活しているとエビデンスなんてどうでもよかったりします。
あまり意識しないというのが適当かもしれません。
ですが、よくよく考えと日常のあちらこちらにエビデンスを残して生きています。

子どもにも職場の若いお子たちにも、「自分を守るためにはエビデンスは大事やで」と話したことがあります。

何もなければいいのですが、何かあったときに、エビデンスの重要性を認識します。
よくあるのが送ったはずの郵便物が届いていないというお問い合わせ。
弊社では郵便物ノートをつけています。
日付と宛先と内容だけのものですが、これが結構いい仕事をしてくれます。
先のお問い合わせにも、「いついつに送った記録があります。もう一度探していただけないでしょうか?」とお応えします。
これで大抵は再度確認していただき、「ありました」と連絡をいただきます。

いちいちノートに記すのは面倒なのですが、ひと手間を惜しんではいけません。

また、意識してエビデンスを残していなくてもその人の言動がエビデンスとして認識されることがあります。
いつも時間に正確な人がたまたま電車の遅延で遅刻をしても、その理由は信じてもらえます。
いつもいい加減のことをしていると、本当の理由さえも信じてもらえません。
これもひとつのエビデンスです。

ただ、これについては立証ができません。
この立証が必要な事案も発生するわけです。
長々と人生を歩んでいると。

先日、私は相続による不動産の所有権移転登記申請をおこないました。
管轄は法務局です。
裁判所とか役所とか、いわゆる公共施設でのエビデンスは誰が見ても確かなモノを要求されます。
それも、時系列的に、です。

真っ当に生きている人にとっては、ほぼほぼ間違いなく、エビデンスは自分の身を守ってくれるでしょう。
しかし、悪事を働いている輩にとっては、エビデンスによって立ち行きいかなくなることになるはずです。
悪事を働く輩はそれが自分の功績とでも勘違いするのか、わざわざエビデンスを残していきます。バカですね。
大阪弁でいうところのアホやなぁ〜、でなく、バカです。

また、こんなところでもエビデンスは発揮します。
ピンポイントの超ローカルな、町内会で順番に回ってくる班長とかの役。
これも、私は個人的に記録をつけています。
高齢者が増えると、口の達者なおばちゃんは、口は達者なのに「年取ってムリ!ムリ!カラダ、えらいねん。あんた、やって!」とおっしゃいます。
下手したらずっと私は何か役をやってる?状況におちいります。
それを防ぐため、自分の身を守るため、「いや、順番やし、長生きのためにこれぐらいはやらはったほうがよろしいで〜」と交渉ネタとして、記録をつけています。
そして、私より若い世代も守ってやります。(笑)

という、エビデンスを意識して真っ当に生きようという、私の人生の指針を語ってみました。