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絶望的な戦いに臨む心境は?

株式会社クローバーフィールドの経営理念
著者:高木信尚
公開日:2017/09/14
最終更新日:2017/09/14
カテゴリー:雑記

高木です。おはようございます。

どう考えても成功しそうにない、勝ち目がないけれど、それでも挑戦するしかないときというのはありますね。
仕事でも、難度的なこと、スケジュール的なこと、予算的なこと、マンパワー的なことなど、いろんな理由からそういう状況に陥ることが多々あります。

そんなとき、皆さんならどういう心境で絶望的な戦いに臨むでしょうか?

私のような立場であれば、仕事でどんなに絶望的な戦いを強いられたとしても、それで命まで落とすことはまずありません。
最悪でも、仕事を失い、多額の負債を抱える程度でしょう(それはそれで大変ですけど)。
サラリーマンであれば、左遷されるとか、降格させられるぐらいがほとんどで、悪くしても失職するぐらいでしょうか。

男なら、危険をかえりみず、死ぬと分かっていても行動しなくてはならない時がある。負けると分かっていても戦わなくてはならない時がある。

というのはキャプテンハーロックの有名な台詞です。
私なんかは、彼がいうように死ぬような状況とはほとんどないわけで、のんきなものです。
職業によっては本当に殉職するリスクがあるので、そう人たちには本当に頭が下がります。

ところで、福沢諭吉にもこれとよく似た名言がありますね。

人間は、負けるとわかっていても戦わねばならないときがある。だから、たとえ負けても勝っても、男子は男子なり。勝負をもって人物を評することなかれ。

それぞれの置かれた状況で、これだけは譲れないというものがあります。
ときには命に替えても守らなければならないものがあるのです。
そういう存在に出会えた人は幸せですね。

一方で、信念や正義、また美学でもなく、負けるとわかっている絶望的な戦いに向かっていく人たちもいます。
勝っても負けても直接的な損失がなく、そればかりか利益になる人たちがそうです。

仮にそういう立場であっても、依頼者に寄り添い、励ましながら共に戦うのであればいうことはありません。
しかし、そうではない人たちも少なくありませんね。
単に目先の金儲けのために、負けるとわかっている戦いに付き合っている人がたくさんいるのです。

助かる見込みのない患者を前にして、「こりゃダメだ」と諦めているけれど、報酬のためだけに延命治療を続ける医者。
依頼者はどうしようもない悪人で、裁判にも到底勝ち目がないけれど、報酬のためだけに付き合う弁護士。

立場上引き受けざるを得ない事情は理解できるので、その点については同情します。
けれども、絶望的な戦いに臨む彼らの心境は、キャプテンハーロックや福沢諭吉のそれとは真逆ではないでしょうか?
少なくとも私はそう思います。

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