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ガチればできる?

株式会社クローバーフィールドの経営理念
著者:高木信尚
公開日:2018/04/04
最終更新日:2018/04/04
カテゴリー:雑記
タグ:

高木です。おはようございます。

人間というのは怠惰なもので、本当に必要に迫られなければ、なかなか重い腰を上げないものです。
とくに自分が苦手とする分野であれば、何かと理由をつけて先送りにしがちです。

今は先送りにしても、本当に必要に迫られたときには「ガチればできる」と考えているからなのかもしれません。
本当にそうなのでしょうか?

小学校と中学校の計9年間で、日本の子供たちは多くのことを学びます。
すでに大人になったあなたも私も、子供時代はあったわけで、小中学校では多くのことを学んだはずです。

小中学校は義務教育であり、わずかな例外を除き、すべての日本人がその9年間は学校で学びます。
これほど公平で平等に機会が与えられることはないでしょう。

そして、良くも悪くも勉強する動機付けとして、高校受験や中学受験などの機会があるわけです。
受験に成功するためには、小中学校でしっかり勉強する必要に迫られています。

しかしながら、いわゆる底辺高に進学する子たちは、義務教育の期間、勉強する必要に迫られているとは感じないようです。
だから、基礎学力がまったく身に付いていない場合があります。
「高卒です」「専門学校卒です」「大卒です」というのであれば、それに見合う学力が身に付いていて当然だと考えますが、現実はそう甘くありません。
このことは、馬詰も先日指摘していた通りです。

高校は底辺校に進むのであれば、中学時代は勉強する必要には迫られなかったのかもしれません。
専門学校やFラン大学に進学するのであれば、それらの学校は経営的な事情から、高校時代にまるで勉強して来なかった生徒でも入学させます。
目の前の戦いを避け、楽な方に流れることはいくらでもできるのです。

このように問題を先送りにしてきた人たちは、いざとなれば、必要に迫られれば、「ガチればできる」と信じて疑いません。
しかし、目の前の課題から逃げ続けた者はその時点で十分に負け癖がついています。
それまでの人生で、一度も「ガチった」経験がない人物がいう「ガチれば」は、文字通り「たら・れば」の話であり、何一つ信憑性がありません。

そもそも「ガチる」ことができるかどうかが怪しいですし、仮に「ガチる」ことができたとしても、基礎学力が身に付いていない者のポテンシャルなど知れています。
一度も試したことがないにも関わらず、何の根拠もなく「ガチればできる」というのは幼児的万能感の表れといわざるを得ません。

小中学校時代、各自いろいろな事情があって勉強ができなかったということもあるでしょう。
家庭環境に問題があったかもしれません。
病気で長期間入院したかもしれません。
イジメが原因で不登校になったかもしれません。

済んだことはしかたがないのです。
けれども、勉強すべきときに勉強できなかった自覚があるのなら、血のにじむような努力を重ねてでも遅れを取り戻すべきではないでしょうか?
勉強できなかった、あるいは勉強しなかった事情を挙げて、居直ってみたところで物事は何も進展しません。

義務教育で学ぶことはできて当たり前のことばかりです。
「ガチればできる」と本当に考えるのであれば、実際にそれを実践して、本当にできることを証明して見せるべきです。
勉強ができるかどうかより、本当に「ガチれる」ことを実績をもって証明できることこそが重要なのです。

ダメな者が集まった環境に身を置くと、その中で成績が上位であれば「自分はイケてる」と錯覚してしまうことがあります。
これは最悪で、正しい判断を曇らせます。
本当に「ガチる」ことができれば、自分がいかに非力であったかを痛感させられるのです。

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