ささやかな気遣い

大林です。
 
人と話し合いをしたり、一緒にいる時、ふとしたタイミングで「あ、嬉しいな」って思う時があります。
例えば、友達と遊ぶ時などに、待ち合わせ場所を最寄り駅からの電車で行きやすいルートにしててくれたり、一緒にご飯を食べる時などにそっとお箸を取って渡したり、取り皿に取り分けた食べ物を置く場所をそっと空けてくれたりと、日常の些細な所で相手が快適に動きやすいように動いてくれる。
それにはもちろん目に見えない部分も含まれます。
 
気づいた時などは気遣ってくれた事に対してお礼を言ったり、時には自分もやったりしているのですが、中々上手く出来なかったり気遣われた事に気づけない事も多く、自然にこういった気遣いをやり取り出来ている人はすごいと思います。
 
しかし、この気遣いというものは中々難しいもので、あくまで「気を遣う人」が考えた良い事のため、「気を遣われた人」の望みから的が外れている事も多々あります。
よくネットで話題にあがる、「から揚げにレモンをかける」といった行為などが分かりやすいでしょうか。
 
飲食店などで揚げ物を頼むと大抵レモンが付いてくるのは味の面も有りますが、消化を促進したり酔いにくくするような健康面での理由が大きいです。
そのため、レモンを絞れば触った人の手はレモン汁が付いて汚れてしまいますし、自分が手を汚すことなくから揚げにレモンをかけてもらえるというのは、個人的にはありがたい行為ではあります。
しかし、中には柑橘系が駄目という人や、から揚げの食感が薄れる、衛生管理していない手でレモンに触れられるのが嫌など、様々な理由から嫌がる人も多く、その理由もまた納得のいく話です。
 
同じ行為でも、気心の知れた人同士で楽しく食事する上では非常にありがたい行為でも、人によっては迷惑になってしまうわけですね。
かといって、いちいち「こうしようか?」と確認したりすると、それはそれで鬱陶しがられたりという問題もあったりして、そういった不満が積もり積もったとき、つい「こんなに気を遣ってやっているのに!」といった怒りを表したりする人もいます。
 
気持ちは非常によく分かるのですが、こうなってしまうと、本末転倒だと個人的には思います。
気遣いとは本来相手が快適に動きやすいようにするもののため、「気を遣ってやっている」という言葉が飛び出す時点で、気を遣って見返りをもらう事が目的となってしまい、相手の快適さが目的ではなくなってしまっているからです。
 
ちなみに、私は気遣いをする時、相手から頼まれたものでなければ、「自分がしたいからしている」という事を常に意識するようにしています。
なので、当然「気遣いして不快な思いをした方」に対しては、その後その人に対してだけは気遣いを極力控え目にするようにしています。
その方が自分の精神衛生上嫌な思いをせずに済んでいいですし、仮に、今度はその人から自分だけ気遣いをされていない事に対して何か言われたとしても、知った事ではありません。
そして逆に、自分に気を遣ってくれてるなと気づいた方に対しては、気遣い返したいと思います。
 
では!

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