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誰も槇島城を知らない!

著者:高木信尚
公開日:2019/06/12
最終更新日:2019/06/12
カテゴリー:雑記

高木です。こんばんは。

昨夕、弊社事務所にいた5名(馬詰、北本、國松、松本、高木)は全員兵庫県人だという話になりました。
確かにその通りで、馬詰と私の現住所は兵庫県ではありませんが、いずれも出身は兵庫県です。
「県人」というのはその県の出身者なので、みんな兵庫県人だということです。

さらに、そのうちの3名は「尼崎県人」らしいです。
尼崎は現在兵庫県ですが、大阪に隣接し、なぜか市外局番も大阪と同じ06というちょっと変わった都市です。

歴史を振り返れば、明治4年の廃藩置県に伴い、尼崎藩は尼崎県になったようですが、翌年には兵庫県に編入されています。
そんな歴史的経緯とは関係なく、尼崎は「県」に匹敵するぐらいの勢いがあるのかもしれません。
政令指定都市でさえないんですけどね。

さて、その尼崎には最近になって尼崎城が再建されたとのことです。
歴史的には「尼崎城」と呼ばれる城は複数あって、織田信長に対して謀反を起こした荒木村重が有岡城を捨てて逃げ込んだのも尼崎城(別名、大物城)でした。
再建されたのはその大物城ではなく、江戸時代になって築かれた新しいほうの尼崎城だと聞いています。

馬詰曰く、その再建された尼崎城はあまりにもチャチでプラモデルみたいだとのことです。
私は姫路の出身で、幼少のころから姫路城を見て育ちました。
姫路城に比べれば大阪城でもチャチに見えるんですけどね。

北本はその再建された尼崎城と、伊丹の駅前にある伊丹城を推していました。
その伊丹城というのが、実は前述した荒木村重が捨てた有岡城なんですよ。
伊丹城も結構チャチらしいですけど。

同じ兵庫県人といっても、旧国名でいえば尼崎などは大阪と同じ摂津であり、私の出身地である姫路は播磨です。
播磨のチャチな城といえば、私がよく見慣れているのは明石城です。
チャチというと明石市民に怒られるかも知れませんが、江戸時代になってから築城されたので歴史的なイベントの舞台になったこともなく影が薄いんですよ。

さて、ここからが本題です。

歴史的なイベントの舞台になったという点で忘れてはならない城があります。
それが、私のかつての勤め先の近くに城跡があった槇島城(京都府宇治市)です。
今はもう石垣すらなく、単なる石碑だけが立っています。

この槇島城にまつわる歴史イベントとは何かというと、室町幕府の(事実上の)終焉の地なんです。
元亀4年、織田信長に対抗して挙兵した15代将軍足利義昭は、居城であった二条城を家臣に守らせて自らは槇島城に籠城します。
あっさり槇島城は開城して義昭は信長の軍門に屈するわけですが、これをもって室町幕府は実質的に滅亡したとされています。
その後も義昭は助命され、毛利輝元を頼って備後に落ち延びても征夷大将軍であり従三位であり続けたんですけどね。

これだけ歴史的に重要なスポットを誰も知らないということにどうにも合点がいきません。
そういえば、すぐ目と鼻の先の職場に勤めていたときも、当時の同僚は誰も槇島城のことを知らなかったようです。
「信長の野望」シリーズの城数が増えてきたことで、ようやく存在だけは知られるようになったかもしれません。

そんな槇島城ですが、おそらく地元民の大半も知らないでしょうし、復元しようというアイデアは将来にわたって出てこないと思います。
どうせ復元するなら安土城を復元したほうがいいですよね。
滋賀県に目玉となる観光スポットができることになりますよ。

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