差別用語と敬語

高木です。こんにちは。

私はいわゆる「差別用語」が嫌いです。
いわゆる「差別用語」が好きという人は極めてレアだと思います。

ここでいう“嫌い”というのは、いわゆる「差別用語」を使うのが嫌いだとか、見聞きするのが嫌いだとか、そういうのとはちょっと違います。
いわゆる「差別用語」というレッテル貼りが嫌いなのです。

ところで、いわゆる「差別用語」が対象を侮蔑するための言葉であるとするなら、対象を敬うための言葉というのもありますね。
それが「敬語」です。
日本語は「敬語」が非常に発達した言語です。

ある事柄について考えるとき、反対側から見ればぐっとわかりやすくなることがあります。
ですので、今回は、いわゆる「差別用語」の反対に位置する「敬語」について考えることにしましょう。

私が学校で習った敬語は、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3種類がありました(近年の国語審議会の見解では、尊敬語、謙譲語、丁重語、丁寧語、美化語の5種類に分類するそうですが・・・・・・)。
大まかに言って、尊敬語は対象を高めて敬意を表す言葉であり、謙譲語は自分側を下げることで相対的に対象を高める言葉です。
丁寧語は単に丁寧な表現なので、今回は深く考えません。

再び、いわゆる「差別用語」に戻ることにしましょう。
対象を直接高めるだけでなく、自分側を下げることで相対的に対象を高める謙譲語が存在するのであれば、自分側を高めることで相対的に対象を下げる侮蔑の方法があってもおかしくないはずです。

世間で「差別用語」とされるものは、どれもこれも、直接的に対象を下げる、あるいは下げたと感じ得る言葉です。
たとえば、身体障害者に対する「めくら」や「かたわ」などがこれに該当するとされます。
実際には、それらの言葉は単に状態を表すだけで、言葉自体に侮蔑的な意味合いはありません。

「晴眼者」や「健常者」のような言葉も、単に状態を表すだけで、言葉自体には敬意もなければ侮蔑もありません。
けれども、これらの言葉を使うことで、障害がない自分たちを高め、相対的に身体障害者を侮蔑する人たちが現実にいます。
謙譲語が「敬語」であるなら、それらの言葉も「差別用語」とすべきではないでしょうか?

より身近な例を挙げるなら、「正社員」や「正規雇用」にも、そうではない人たちに対する侮蔑的な意図を感じることが少なくありません。
労働基準法などでは、正規も非正規もなく等しく労働者なのですが、単なる分類を超えて差別心を生み出してしまうでしょう。

いわゆる「差別用語」とされる言葉の多くは、単に状態などを表すだけで、そこに侮蔑的な意図、差別する心はまったくありません。
「敬語」は、言葉そのものに敬意を表す意がありますが、単にそれらの言葉を使っただけで実際に敬意を払ったかどうかは別問題です。
言葉そのものには、本当の意味での侮蔑も敬意もないのです。

大切なのは、言葉を使う人間が、実際にどう思い、どう振る舞うかです。
手当たり次第にレッテルを貼り、言葉狩りを行っても、表現の自由に著しく制約を加えるだけで何の価値もありませんね。