「可能性はゼロではない」とはどういうことか?

高木です。おはようございます。

何かトラブルが発生したとき、不安にとらわれた人たちは必ず同じようなことをいいます。
「今後、同じようなことが起きる可能性はないのか?」と。

それに対して、回答する側はというと、「可能性はゼロではありません」といった歯切れの悪いことしかいえないことがほとんどです。
どうにかして、安心させてほしかった人たちは、そのような回答に激怒することもしばしばです。

今回は、そのような回答に見られる「可能性はゼロではない」について考えてみることにします。

まず、大前提として、「自然界では禁止されていないことは起こりうる」という原則があります。
可能性がゼロということは、それが自然法則として禁止されているかどうかを問うていることになります。

私が大学のときの物理の先生は次のように話してくれました。

みなさんの財布が、あるとき突然私のポケットに入る可能性はゼロではありません。

量子力学を多少なりともかじったことがあれば、それがどういうことなのか想像がつくことでしょう。

この話を聞いただけでも、可能性がゼロというのが、どれほど難しいことなのかが想像できるはずです。
世の中には、「ゼロ」とか「絶対」とかいうのは、まったくないとはいいませんが非常にレアなことなのです。

他の例を挙げてみましょう。
「絶対零度」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
絶対温度がゼロなので、温度がまったくないということです。

しかし、熱力学の第三法則(正確にはネルンストの定理)では、有限回の操作では絶対零度に到達することはできないとされています。
つまり、絶対零度は無理だということです。
逆に、「絶対零度に到達すること」は自然法則で禁止されていることですから、起こりえないことになりますね。

別の例も見てみましょう。
「真空」という言葉も聞いたことがあると思います。
文字通り、本当に空っぽで何もないという状態を指します。

しかし、真空といっても「ゆらぎ」があります。
常に粒子と反粒子、たとえば電子と陽電子とか、ニュートリノと反ニュートリノなんかが対生成されます。
これでは、本当に空っぽで何もない状態とはいえませんね。

他には、ブラックホールに吸い込まれると決して出て来られないと昔はいわれていました。
けれども、最近ではホーキング輻射によってブラックホールが蒸発するとされています。
ブラックホールも絶対ではないのです。

そんな物理の話ではなく、問題にしているのは、もっと身近なことだという人もいることでしょう。
けれども、上で挙げたような、ごくごく基本的なことでさえ「ゼロ」とか「絶対」とかいうことがなかなかいえないのです。
もっと複雑なことであれば、なおさら安易に「ゼロ」とか「絶対」はいえなくなります。

ですから、「可能性はゼロか?」とか「絶対大丈夫か?」といった質問をすること自体がナンセンスなのです。
実際の運用で大切なのは、「可能性がゼロか」どうかではなく、「蓋然性がない」かどうかです。
多くの場合、「可能性はゼロではない」というのは「蓋然性はない」とういうのと同じ意味だと考えてもよいでしょう。

「蓋然性」というのは難しい言葉ですね。
たとえば、先に紹介した物理の先生の話(財布が云々の話です)は、確かに可能性はゼロではないかもしれませんが、宇宙の寿命ぐらいの期間があっても起きるかどうかわからないようなことだと思います。
そんなものは実際には起きないわけで、蓋然性はないんです。

もう少し可能性が高いケースを考えましょう。
道を歩いていて、自分に隕石が直撃する可能性はゼロではありませんね。
さっきの財布の話よりはずっとありそうです。

でも、実際にはそんなことは起きませんよね。
だから蓋然性はないんです。

相手から有意義な回答を引き出すには、質問を適切に行う必要がありそうです。