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一人称で対応できるコミュニケーション力

著者:高木信尚
公開日:2017/10/23
最終更新日:2017/10/23
カテゴリー:雑記

高木です。こんばんは。

ここのところ「一人称」関連で検索して来られる方が多いので、週に一回ぐらいは「一人称」ネタを書いてみようと考えたりしています。
ほとんど悪ふざけですね。
今回のワードサラダが生成したようなタイトルも、そうした悪ふざけによるものです。

さて、以前から何度も書いているように、「一人称で仕事ができる」とか「一人称で対応できる」といった表現を見かけることが多いのですが、それが何を意味しているのかさっぱりわかりません。

そうした「一人称~」といっしょに見かけることが多いのが「コミュニケーション力」または「コミュニケーション能力」です。

以前、そのものズバリのタイトル「コミュニケーション能力」という記事を書いたことがあります。
「コミュニケーション能力」には情緒的な要素も含むわけですが、前述の記事でも書いたように、発信者から受信者に正確かつ迅速に情報を伝達することが基本です。
ほかのことは、基本ができた上での応用のようなものなのです。

通信を行う場合もそうなのですが、情報を発信する側は可能な限りルールに厳密に従う必要があります。
ルール無視で情報を垂れ流しても、それはノイズでしかありません。
一方で、受信する側は可能な限り許容範囲を広げ、柔軟に対応しなければなりません。

わかりやすい例を挙げましょう。

ウェブページの記述にはHTMLという言語が使われます。
このHTMLの書き方にもルールがあります。
正しいルールで書けば、どんなウェブブラウザでも期待どおりに表示することができます(現実にはそう簡単ではないですが……)。

しかし、実際にはルールを守っていない間違いだらけのウェブページも世の中には多数存在します。
ウェブブラウザは、HTMLが少々間違っていても正しく表示できるように極力頑張ります。

発信する側(ウェブページ)は極力ルールを守って記述すべきであり、受信する側(ウェブブラウザ)は極力柔軟に対応すべきなのです。

人間対人間のコミュニケーションでもこれは同じだと思います。

その意味で、「一人称で仕事ができる」とか「一人称で対応できる」といった表現は正しい日本語の表現とはいえず、「発信者は極力ルールを守る」という原則に反しているのです。
そのようなルール無用の発信者がいう「コミュニケーション力」または「コミュニケーション能力」も、その意味を字義どおりに捉えてよいかどうかわかりません。
これでは、まともなコミュニケーションは成立しないのです。

可能であれば、受信者である私が柔軟に対応することで、発信者の誤りを吸収すべきです。
しかし、物事には限度があります。

あらゆる「オレ語」に対応するだけの柔軟さや能力は、残念ながら私には備わっていません。
それを「コミュニケーション力」の欠如というのであれば、その通りかもしれません。
私はエスパーではありませんから。

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