「日本語が全く問題ない」とはどういう状態だろう?

高木です。おはようございます。
今日は「春分の日」ということで会社は休みです。
しかし、毎週土日でも関係なくブログは更新していますので、祝日も当然更新することになります。
子供のころは、単なる天体現象に過ぎない「春分の日」や「秋分の日」がなぜ祝日なのか理解できませんでしたが、大人になるとわかってくるものです。
日本の文化というのは奥が深く、日本語を本当に使いこなすためには文化に対する理解が不可欠になります。

ということで、今回は日本語についての話題になります。
何週間か前のことです。
「日本語が全く問題ない」ことを条件に出している方を見かけました。
何とも過酷なことをいうものだと感じたものですが、せっかくの機会なので「日本語が全く問題ない」とはどういうことなのか考察してみたいと思います。
普通に日本語による会話や読み書きを通じて、意思の疎通ができることは最低条件ですね。
しかし、その程度では「全く問題ない」ということにはなりません。
「全く問題ない」ということは、どんな些細なことであっても、ひとつでも問題があれば当てはまらないことを意味します。
具体的な話をしましょう。
漢字検定1級(最高級です)の問題を何度やっても満点を取れることは当然の条件です。
1度でも間違うようであれば、それは「全く問題ない」状態ではありません。
文法的な間違いや漢字の書き間違いをおかすなど論外です。
日本語の範疇である方言に関しても、完全に理解し、自らそれを表現できる必要があるでしょう。
少しでも操れない方言があるなら、それは「全く問題ない」状態とはいえません。
日本語の範疇という意味では、古語に関しても同様のことがいえます。
平安期の日本語であろうが、鎌倉期や室町期の日本語であろうが、江戸期の日本語であろうが、少なくとも古文書をスラスラ読めることは必須です。
それができないようであれば、「日本語が全く問題ない」とはとてもいえません。
現代語についても、意思疎通ができるのかどうかよくわからない、いい加減な表現を多用するようでは「日本語に全く問題ない」とはいえません。
「一人称で対応可能」とかいうのは論外ですね。
このように考えてみると、「日本語が全く問題ない」人物など日本人にもほとんどいません。
もしかすると誰一人としていないかもしれません。
問題なのは、日本人の場合は「日本語が全く問題ない」状態でなくても許容し、外国人に対しては「日本語が全く問題ない」ことを要求することです。
これは不当な差別といわざるを得ません。
多くの場合、そのような要求をする人物は、日本語がどうこう以前に人間の言葉が通じないことが多いようです。
相手が昆虫か何かだと思えば腹も立たないのかもしれませんね。

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